尾張名古屋は芸どころ 名古屋能楽堂
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「尾張名古屋は芸どころ」。そのルーツは、江戸時代に尾張藩主の徳川宗春が、倹約よりも消費を奨励し、遊芸を大いに発展させたことにあります。この宗春公の政策により、名古屋には多くの芸人や文化が集積し、華やかな「芸どころ」が花開いたのだそうです。
そんな歴史ある「芸どころ」の施設を、私の思い出とともに、折に触れてご紹介したいと思います。今回は、「名古屋能楽堂」です。
(10月4日投稿の「御園座(みそのざ)」、10月3日投稿の「大須演芸場」のブログも、どうぞご覧くださいませ。)
名古屋能楽堂
名古屋城の正門前に設けられた能や狂言を上演する能楽堂で、座席数630席は地方自治体が運営する能楽堂としては日本最大級を誇ります。年間10回程度の定例公演に加え、多様な団体による公演が開催されており、将棋の王位タイトル戦の対局にも用いられることでも知られています。
1997年(平成9年)4月に開館した能舞台は、総木曽檜造り。凛とした風格を漂わせています。
そもそも能楽は、戦国時代に織田信長、豊臣秀吉、徳川家康ら三英傑が嗜んだことから城下町に広まり、江戸時代には尾張藩の初代藩主・徳川義直をはじめ、歴代藩主が愛し、手厚く庇護しました。まさに名古屋の歴史と深く結びついた伝統芸能です。
また、名古屋城内で行われる「薪能(たきぎのう)」。篝火(かがりび)のもとで能を鑑賞する薪能は、名古屋城と共催されるそうです。夜空の下での能楽は、また格別な幽玄な世界です。雨天のために、能楽堂に急遽場所を移して行われたこともあるそうです。
実は、私が初めて能楽堂で能を鑑賞したのは学生時代、東京都内のある能楽堂でした。初めての鑑賞は、「内容を理解しよう」と努めても難しく感じて混乱してしまいました…。鑑賞の際は、難しい知識は一旦置いておき、「場の雰囲気や音、舞の美しさを感じる」ことから入るのがおすすめです。好き嫌いは分かれるところかもしれませんね。
投稿者プロフィール

- くれたけ心理相談室(名古屋本部)心理カウンセラー 産業カウンセラー
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こんにちは。広い空や海の開放感が大好きなものですから、
自分への日々のご褒美には、広い空間の体感かスイーツやお酒少々です。
皆さんの明日が今日よりも、明後日が明日よりもステキでありますように。
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