悲しみを置き忘れた人

ブログにお越しいただき、ありがとうございます。

わたしの知っている、ある人のことについて、お話しさせてください。

その人は、いつしか「悲しみ」という感情をどこかに置き忘れてしまったかのように、全く涙を流さなくなりました。子どもの頃は、厳しく叱られて大泣きしたり、誰かと別れる度に涙したり、悲しみを全身で表現していたにもかかわらず。その人は、大人になるために、そしてとうとう大人になったから、決意したのでした。「悲しいなどと言って立ち止まっていてはいけない。誰かに頼ってはいけない。自分は常に強く、頼れる存在でなくてはならない」と。この決意は、悲しみを心の奥底に押し込め、日々の感情の揺れ動きから概ね解放してくれたようでした。


その時から、その人が自分の内側を支える柱としたのは、「冷静な頭脳」と「内に秘める怒り」でした。

状況や他人の言動に感情を乱されるよりも、冷静に現状を把握し、分析する頭脳を最大限に活用する。そして、難しい状況を打開するための原動力となる内に秘める静かな怒りこそが、大人として有効に活用できるエネルギーだと気づいたのです。頭脳と、表には出さない強い意志としての怒りを巧みにコントロールする術を磨くことで、その人の人生から「悲しみ」はますます遠ざかっていきました。


そんな人があるとき、涙に暮れます。

それは、かけがえのない大切なものを失った瞬間でした。長年使いこなしてきた「冷静さ」は崩れ去り、「内に秘めた怒り」を燃料に立ち上がることさえもできず、ただ涙が溢れて止まりませんでした。その人にはそのとき、そのありのままの涙を受け止めてくれる家族がいました。強く、しっかりした自分でなくても、その弱くて頼りない自分を受け止めてくれる人がいました。

悲しみを遠ざけ続けてきた心はいつも、張り詰め、緊張し続けてきたのでしょう。その人の心の緊張が瞬間的に解けてしまったことで、ゆっくりと、深く、そしてやさしくほどけたように思います。

そしてそれはきっと、その人にとって、ほんの少しだけ生きやすくなったようにも思います。

神社越しに青空を望む

投稿者プロフィール

青木 亮
青木 亮くれたけ心理相談室(名古屋本部)心理カウンセラー 産業カウンセラー
こんにちは。広い空や海の開放感が大好きなものですから、
自分への日々のご褒美には、広い空間の体感かスイーツやお酒少々です。
皆さんの明日が今日よりも、明後日が明日よりもステキでありますように。

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