発達障害(私のファッションセンスからの考察)
ファッションセンス。それは、美的感覚の表れともいえるでしょう。
その感覚にはそれぞれ個性がありましょうから、好き嫌いもさまざまでしょうが…
その感覚が乏しい方のそれは、好き嫌いではなくて、誰が見ても「いまひとつ」でしょう。
私はその類でして…妻が逆の者、常に助けられる…感謝している。
ときどき思うことがある。
この美的感覚の乏しさは一種の「発達障害」であると。
生活が著しく損なわれることがないので、取り上げられることがないだけ。
サポートが比較的容易だから、取り上げられることがないだけ。
とはいえ、イベントなどで見た目を意識しようと取り組む際には、
どうすればよいのか…頼るべき自分の感覚がないために、困ってしまう。
わずかな経験等を駆使して頑張って選んだ際に、妻からの残念な判定は何気に苦しい。
多くの方にそれなりに備わっているであろう能力が乏しいと、
悲しく、自分が情けなく、もうどうでもよくなる…そんな気持ちが表れるときがある。
ただ、私という人間全体をみれば、この障害はほんの一部にすぎないのである。
なぜなら私は、優れた能力も持ち合わせ、それを駆使して生きる術を身に着けてきた。
美的感覚の欠如はたいへん残念ではあるが、
私はこの美的感覚の欠如は、あまり困らずに生活できる術を身に着けてきた。
加えて、男性のビジネスシーンにおける固定的なファッション、つまりスーツにカッターシャツ…
感覚が乏しい者には、それを隠すにはありがたい慣習ができている。
さまざまな障害、それが社会でどのように定義されようがされまいが、
それはみんな、社会・環境・周囲の方々のあり方によって作り出されてくる。
みんな違っているので、みんなをそのまま受け入れ、みんなをそのまま支援したいと感じる。
私も多様な支援を受け続けてきている。これからもずっと。
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