ポイ捨てに憤る人を想う
空き缶をポイ捨てする人がいて、それを見たある人がとても腹を立てる。
ポイ捨てした人を叱り飛ばしたいくらいの思いを、大人の対応と我慢する。
腹を立てるのも当然でしょう、と思うのだけれども、
特段に腹を立てない人も大勢いて、腹を立てないのも当然である。
では、どうして最初の人は、腹をそんなに立てることになるのだろうか。
いろんな見方ができるけれども、ひとつの見方(可能性)を紹介します。
その人は、一生で一度もポイ捨てをしたことがない、
それどころか、しよう・したいと思ったことすらないと言う。
ポイ捨てしないことはあまりに当たり前のことだから、ポイ捨ては異常事態と感じる。
したことがない、しよう・したいと思ったことすらない理由は、
その人の心が、たいへんクリーンなのかもしれない。あるいは
幼少期に周囲の大人たちから、厳しくあるいは当然の如く、しつけられたからかもしれない。
「ポイ捨てするなんて、人としてあるまじき行為」としっかり学び、納得してきたかもしれない。
ただ、心の奥底では、「一生に一度だけでいいから、ポイ捨てしてみたい」と、願っていたりして。
自分でも気がつかないけれども、ポイ捨てしている人がうらやましくて、くやしくて、
こんなに我慢している自分の横で、堂々と自然にポイ捨てする人を叱りつけたくなるのかもしれない。
誰も自分を知らない外国で、あるいは誰もいない夜、こっそり「初」ポイ捨てしてみたらどうだろう。
悪いことをしている自分が楽しかったりして!そして自分で拾ってキチンと捨てることでしょう。
空き缶のポイ捨てを、もし市民全員が毎回やっていたら、大・大・大問題になるけれど、
ほんの一部の人が時々やるから、問題ですんでいる。ポイ捨てしない人のおかげである。
しかし、ポイ捨てしない人の中には、その心に大きな傷つきを抱える人もいる。
ポイ捨てしない人は、それまでの人生で培った心構えを稼働させて、無意識に制御している。
けっこうたいへんな心的な活動である。
そんな人の”当たり前のような善意”に、”大いなる感謝”をしたい。
そして、ささやかだけれども、ねぎらいたいと思う。
どうか傷つかないでと、願う。
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