心のふるさと
ブログにお越しいただき、ありがとうございます。今回は、心のふるさとを意識するときについて、触れます。
「ふるさとは遠きにありて思ふもの」。詩人・室生犀星の詩「小景異情」の冒頭の有名な一節です。この詩の趣旨とは違いますが、心のふるさとにはこういう部分があるなぁと感じます。
私は愛知県名古屋市に住まいと活動の拠点を置きますが、高校野球は出身の岐阜県勢の活躍を、まるで自分のことのようにドキドキしながら見守っています。今大会で現在3回戦に進出している県立岐阜商業高校には、”ぜひ優勝を!”なんてどうしても期待します。(今日の第4試合、明豊(大分県)と対戦予定です。)
かつてニューヨークにいたときは、日本のニュースを常時確認していました。ある時、日本のことを批判的に語る外国の男性に対して、下手な英語で、一生懸命に日本を説明・弁明しようとしたものです。こんなに日本のことを大切に思っていたかな?と感じたものです。
在籍会社が合併した後には、出身会社に対して愛着がどんどん高まりました。失ってみて初めて大切さに気づいたかのようです。その分だけ余計に合併を残念に感じたのでしょう。そうした人たちも多かったように振り返ります。
離れることで、心の中の”ふるさと”はより鮮明になる…それは、場所だけでなく、人や組織、地域にも言えるのかもしれません。それまで意識をしていなかった気持ちが意識に登り、高まったり定着したりするのかもしれません。
投稿者プロフィール

- くれたけ心理相談室(名古屋本部)心理カウンセラー 産業カウンセラー
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こんにちは。広い空や海の開放感が大好きなものですから、
自分への日々のご褒美には、広い空間の体感かスイーツやお酒少々です。
皆さんの明日が今日よりも、明後日が明日よりもステキでありますように。
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