ダイバーシティ&インクルージョンとは慣れること
パリ五輪がまもなく始まる、
日本代表選手は概ね決まっただろう。
気がつけば、その中にカタカナの名前の選手、
黒人さんや白人さんに見える方も多数いる。
以前は、違和感を感じたけれども、もう薄れている。
流暢な日本語を話したり、日本でずっと育っていると知ったり…
いろいろな理解が次第に定着してきた。
マツコ・デラックスさんやikkoさん、いつの頃からか
メディアで頻繁に登場し、すっかり見慣れた。
男性や女性がそれらしくしていなくても、違和感はもう少ない。
ある町の精神科病院では、患者さんが院外に外出されるそうだ。
町の住民や店の人は、外出の禁止を病院に強く求めたという。
それでも院外外出を続けたら、次第に住民や店の方は慣れたそうだ。(院長談)
町の人たちは、懸念が杞憂と分かったのだそうだ。(病院の取組みはさまざまあった)
私たちは、人生の多くの時間を、自分の常識の中で生きています。
遭遇する常識外の事態には、それを危険か否か、正しいか否かを判断せねばなりません。
それはそんなに簡単な判断ではないし、何でも受け入れることはリスクが伴います。
ダイバーシティ&インクルージョンは、時間がかかります。
危険がない、間違っていない、そう理解するプロセスとは、
常識外にある人たちが生きる姿・活躍する姿に慣れていくプロセスなのだろう、
そう思いました。
心理学とその周辺を学ぶと、人の多様性を知ることになります。
私の私生活においてこれまで常識外であった人たちが、自然と常識の範疇に入ってきます。
未だ常識外の人たちに向き合うときも、構え方がやさしくなりました。
ご相談の際は、その点をどうぞご安心ください。
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