今も活きる、母の言葉「他人(ひと)は他人、自分は自分」

私が幼いころ、母から「他人(ひと)は他人、自分は自分」って叱られたことを

今でもよく覚えています。

「あの子がこうしている…(大泣き)」 ※私は大泣き虫でした。

だからこうしたい、こうしたくない…とごねるわけですが、

そうしたときの母の決め台詞でした。とはいえ、泣き止んで従うわけでもないのですが。

母の中にはこの考えは確固たるもののようで、叱る場面でなくともときどき口にし続けました。

泣く子

親の言うこと、言ったことを、大人になれば検証して変更して、

時には否定することが大切なんです。時代は変化しますし、人それぞれ多様ですし。

ですが、私の中には母の考えは、いまだにありがたく思ったりします。

どうしても他人と比べたくなって、比べて苦しくなったり、比べてほっとしたりするけれども、

比べる相手は今の真の自分や自分の過去、自分の夢にしたいと思うのです。

親がどんなつもりで叱ったか…ということよりも、

私が今、上手に活かせる考えや言葉は、大切にしたいものですね。

 

※母は6人兄弟の下から2番目でした。兄姉が大学に行けた一方で、経済的な事情等で大学に行けなかった、「私はいいから」と親に自ら辞退したと語りました。本当はすごく行きたかったとも。そんな象徴的な出来事から、母のこの言葉に込められた思いを推測すると、「我慢しなさい」「私も我慢したのだよ」という怒りや悲しみを感じます。ごねている幼い私に、「私みたいに我慢しなさい」とメッセージしたのであれば、大人の私はその気持ちを受け止めて、そのメッセージは手放すがよいと思っています。

投稿者プロフィール

青木 亮
青木 亮くれたけ心理相談室(名古屋本部)心理カウンセラー
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