自己肯定感に隠れ、気づきにくい自己嫌悪
ある方が自己の探求を突き詰め、そこに自己嫌悪を見出し、驚かれた話です。
その方はたいへん親切・丁寧な方で、周りの人をつねに気遣います。
その度合いは自分を差し置いてでも他人を優先するもので、
道を歩けば、向かいからくる方を邪魔しないよう、アンテナを張りつづけます。
話をすれば、周りが朗らかになるように、ユーモアと明るさを表しつづけます。
この方曰く、その場では『自然に』そうなってしまうので、そこに苦労も辛さもなく、
周りの方から言われる「親切・丁寧」という評価は、素直にありがたく感じる、とのこと。
実に謙虚で、実にあたたかく、かくありたいと思うような存在です。
しかし、そんなこの方にも疑問がありました。それは、その場ではなくて、その後のことなんです。
「歩いただけで、どうしてこんなに疲れちゃうんだろう」
「みんなと楽しくお話ししただけなのに、どうしてこんなにヘトヘトなんだろう」
永きにわたって、あいまいで不快な違和感と疲労感をずっと抱えておられました。
実はこの方、自分のお気持ちには、かなり鈍感なようでした。
周りの状況や気持ちを判断して、自らがどうすべきかを考え行動する癖が顕著だったようです。
それを認識したこの方は、自分の気持ちに注目するようになりました。
そうすると、ひとつの気づきが生まれました。
それは、自分の気持ちは『努力』だったということ。
道を歩いても、楽しく話していても、それはいつでも努力なのだから、疲れていたのだと。
(補足:努力だけでなく、そこに相手を配慮するやさしさや楽しむ気持ちなども混ざっています。)
心の余裕少なく、テンション高めて、目的もって行動し続けてきたのだと、そう理解されました。
ただ、それでも先に感じた違和感はぬぐい切れませんでした。
さらに探求を続けられ、とうとう気づかれました。
『できていないと周りの人から叱らる…と怯え、そうならないよう必死で努力・アピールしている。』
『そんなふうに努力してしまう自分を、自分自身が情けなく感じている。』
『”叱られてもいいじゃないか、努力しなくていいじゃないか、”と、もうひとりの自分が言っている。』
この方は自ら自己肯定感が高いと感じています。私も周りの方も同感です。
ですから、自分がそんな自己嫌悪を感じて苦しんでいると気づいたとき、驚かれていました。
そして、なんだか腑に落ちたように感じられたとのことです。
この方は、「努力の人」である自分にどう向き合うか…チャレンジすることになりました。
努力してしまう自分を受け入れ許すのか、努力しない自分を目指すのか、他の選択肢か…。
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