突然の、あり得ない死に際して

昨日元気に笑っていた友が、翌朝死んだ。
「また明日」って、手を振って別れた。
冗談だと笑った、叫んだ、怒った、恨んだ、
悔しんだ、自分を責めた、他人を責めた…
感情をなくした、いや、消した。
なぜ死んだ…と問い、答えを探し、
同じことが起きぬようにする使命を得た。
不思議なほど、冷静で落ち着いている、涙は出ない。

今朝出かけた夫が、あり得ない事故で死んだ。
聞いたことがないような、冗談みたいな最後だった。
事故をどう説明されても訳がわからない、わかりたくもない。
状況が飲み込めなくて、こころが混乱して、自分の感情もわからない。
身体もうごかなくなっている…
どうなっているの…どうなっちゃうの…わたしたち…

息子が死んだ、親を差しおいて、先に逝った。
理不尽な事件…謝罪もない、息子が悪いと言われた。
悲しい、悔しい、頭にくる、私…どうにかなってしまいそう…
闘うしかない、息子のために、険しいけれども闘うのが私の道だ。
苦しい、辛い道に、くじけそう…息子は帰ってこない…

3本の大木

大切な人や身近な人の死は、誰にとっても避けがたい事実です。
その事実とそれによる困難を、生きている者は乗り越えようともがきます。

生きている者にとって納得のいく死であれば、困難は小さくなるでしょう。
その方の死にゆく過程で困難を一部乗り越えるのだから、
死後の困難が小さくなるともいえるでしょう。

しかし、納得のいく死と真逆な死を突きつけられた方の困難は、どれほどになるでしょう。
私などが軽々に言葉で言いあらわすことなど、控えねばならぬと感じます。

心理カウンセラーとしては、その困難を一緒に味わせていただきたいと思う次第です。
微力ですが、お力になりたいと思っております。

投稿者プロフィール

青木 亮
青木 亮くれたけ心理相談室(名古屋本部)心理カウンセラー
あなたのお気持ちや物語などを、私にぜひ、きかせてください。

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