穏やかな最後を迎えてほしかったのに…
畳の上で死にたい、家族に看取られながら死にたい、
ピンピンコロリ、眠るように死にたい、天寿を全うしたい
自分の最後をそんな風に願う方も多いと思います。
近しい方にはそんな最期を迎えてほしいと、願ったりもするのでしょう。
私の祖父は、ある朝目覚めることなく、静かに旅立ちました。
私の父は、病床で、家族に看取られながら、旅立ちました。
孫・息子としては、受け入れやすい最後の場面でした。
悲しいニュースを見るとときに、願わぬ最期を迎えられたであろう方を想い、心が痛みます。
近しい人の心の内を想うとき、私自身が心を閉ざしたくもなります。なぜなら、
近しい人は、その方の最後に際して、できれば、穏やかに、
純粋な悲しさや寂しさ、亡くなられた方への感謝や尊敬などを感じたかったでしょう。
しかし、実際には、
こころかき乱され、あるいは、
怒りや使命感がこころを支配し、あるいは、
こころをきえてなくなり…。
私の父が病で57歳で亡くなり、母は深い悲しみに落ちました。
父の母である祖母は、息子を亡くした悲しみに暮れました。
ふたりは互いに深く悲しみを共有しあいました、子どもが入りこむ余地などないほどに…。
今思えば、ふたりには受け入れがたい最後の場面でした。
病の淵からの復活を信じ続けた母には、受け入れがたい最後でした。
祖母には、息子が先に逝くことなど、毛頭受け入れがたかった。
母は次第に、亡き夫とともに生きるんだと前を向く意思をもつようになりました。
祖母はそんな母の姿にいささか安堵しつつ、しばらくして亡くなりました。
近しい方の最後に際し、辛い思いを抱くこと、一定程度続くことは、自然なことでしょう。
辛すぎるのは、辛い思いが強すぎること、いつまでも続くことです。
あなたの、近しい方への思い、最後の場面への思いは、語りつくせないほどにあるでしょう。
よろしければ、心理カウンセラーに語りつくしてください。
私の父が、家族に向けた最後の言葉は、こうでした、
「有意義に生きろよ」。
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