私はアリ、老後の不安に立ち向かう

50代も半ばを過ぎ、私にはいわゆる「老後」が迫りつつある。

不安はありがたい。不安があるから、しっかり備えられる。
不安が無ければ、備えなどしない。アリとキリギリスなら、私はアリである。
結局キリギリスが得をした…という結果論は、甘んじて認めるのである。

私の好きな言葉は「無無明」、「明らかでないものが無い」という意味(私流の解釈)。
突き詰めればきりはないが、それなりに明らかにして、対処するのが常である。

とはいえ、備えるべきことは多い。
親の介護のこと、親からの相続のこと、お金のこと、住まいのこと、防犯のこと、
資産のこと、仕事のこと、健康のこと、体力のこと、心残りにしていること、
ペットのこと、子どものこと、孫のこと、日々の生活のこと、家事のこと、
余暇のこと、連れ合いが亡くなったときのこと、連れ合いより先に死んだ時のこと、
認知症になったときのこと、介護してもらうこと、死後の相続のこと、お墓のこと、
デジタルデータのこと、もしも災害のこと…。
それでも、ひとつひとつ「無無明」すれば、終わる。

現代は、変化が激しい。備えたいことはどんどん出てくるだろうから、
またひとつひとつ無無明せねばならない。
そうなのだ、老後は超忙しいのである。悠々自適とは程遠い。
やりたいこともたくさんある、やらずに死ぬわけにはいかない。
自分が培ってきた知恵と能力を駆使して、すてきな時を重ねていくのである。

ふくろう

年老いてもなお、英知は高まるという研究もある。
まだまだ若い者には負けられん!
私はいつまでも、若者より先を行く、そう年上なのだ。

50代以上の皆さま、こころより応援しています。
ともに、生き抜いてまいりましょう。

投稿者プロフィール

青木 亮
青木 亮くれたけ心理相談室(名古屋本部)心理カウンセラー
あなたのお気持ちや物語などを、私にぜひ、きかせてください。

コメントはお気軽にどうぞ