人は、なんのために生きるのか
「人は、なんのために、生きるのか」
ある人物が学生の頃、宗教を学ぶ友人から問いかけられます。
自分が生きる目的は何なのか、はたして生きている意味はあるのか。
数年の間ときどき思い出しては考え、さまよった先に、ある答えに出逢います。
「死なないから生きている、ただそれだけのこと。生きることに目的などない。」
「命を一旦授かった者には、必ず生きて必ず死ぬというその厳然たる事実が突きつけられる。
つまり、どう生きてどう死ぬかしかせいぜい選べない。」
「人は、自分が生きることの価値の源泉を探し求め、苦悩し、やがてあきらめる。
すると、自分の生きる目的や意味を定め、あるいは生きてきた足跡の中にそれを見出す。
つまり、生きる目的や意味とは既存のものでなく、生きていく中で形作られるものである。」
生老病死という四苦、つまり生きることそれ自体も苦しみであると、仏教が教えます。
自分は何のために生きるのか、この問いは生きる苦悩のひとつでしょう。
♪~
どんなときでも平気で死ねると 悟りし人のひとりごと
どんなときにも平気で生きてる 悟れる私のひとりごと
間違ってるかもしれないけれど そう思うんだ
これは、海援隊(フォークグループ)の歌「間違ってるかもしれないけれど・・・」の一節です。
私はこれを、みぞおちの辺りがぐっと押され熱くなる感覚をもちつつ、今でも口ずさみます。
苦しみを生きること、しかも平気な顔をして生きるということは、悟りの境地かもしれません。
私はこう思います、「生きること自体、苦しむこと自体が、目的なのかもしれない」と。
何のために生きるのか、と問われたら、今はこう答えましょう。
「懸命に生きるために、生きている」、間違っているかもしれないけれど…。
冒頭のある人物は、私です。どうぞ悪しからず。
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